マイ・ラスト・ソング/最終章  2007/05/28
 
 
 久世光彦(てるひこ)氏は、若いころはテレビドラマの演出家として知られていましたが、実は、僕はあまり好きじゃなかったんです。
 お兄さんの久世公尭氏の方は高名なエリート官僚で、のちに参議院議員まで務められた人物です。僕は講演も拝聴しましたが、切れ者という印象を持った記憶があります。
 
 弟の方の光彦氏が、晩年連載(2004〜2006)されていたものをまとめた【マイ・ラスト・ソング/最終章】という本を、先日、何気なく手にとってしまいました。
 亡くなられたのが2006年ですから、遺書というか、人生を振り返られての雑感を、歌によせて、綴られたもののようです。
 
 
 その中で、僕が特に触れたいと思った「みれん町、おんなの朝」というタイトルの話は、こんな書き出しで始まります。
 
 美川憲一というと昔の女を思い出す。それも1人ではなく、2人である。私はそのころ30代で、家庭がありながら懶惰(らんだ)な日々を送っていた。仕事に躓いたこともあったが、毎日の暮らしに区切りもケジメもなく、家からも勤め先からもそう遠くない麻布仙台坂下に部屋を借りて、窓を閉め切った2階の部屋で、ひねもす考えても仕方のないことを考えていた。
 
 僕が久世光彦氏のことを、いつの間にか、あまり好きでなくなっていた原因は、多分、「時間ですよ」の一件が大きく影響していたんです。
 僕は元々、テレビドラマなど観ない人間なのですが、あの「時間ですよ」は、ドラマというよりはバラエティのコントみたいで、バラエティ好きの僕はよく観ていたんです。そして、このドラマに脇役で出ていた、しらいしまるみという若い女優さんが、樹木希林さんに相談したわけです。久世氏に押さえ込まれた、と。相談を受けた希林さんは、決然と久世氏との談判に及んだというのが、当時伝えられたスキャンダルの概略。
 本当にそういう事件だったのかというと確信がありませんが、少なくとも僕は、そういう事件だったと、その時点では理解したわけですね。久世、悪い奴だと思いましたよ。
 
 
 
「小さな顔に小さな目鼻立ち。希みまで小さな女だった。テレビドラマの小さな役に満足して、日々嬉しそうだった。高名な女優と二言三言ことばを交わすシーンがあったと言って、目を輝かせる21歳の<女優>だった。
 
 高名な女優というのが、樹木希林さんだったんでしょうね。
 氏は、そして、2人の女とは別れたと書いています。
 
 身勝手な男である。女を泣かせて、それでも憎まれていないと高をくくっている。。いい気なものだが…
            (中略) 
 2人の女と別れた。別れたといっても、別に縁切り状を交わしたわけでもなく、取り立てて気まずい思いをした憶えもなかった。切れかけていたゴム風船の糸が、立てつづけに2本、ふとした風に吹かれただけの話だった。きっかけになった風は、三島由紀夫氏の自殺だったような気がする。
 
 本人は綺麗に別れたつもりだったけど、若い女優は高名な女優に悩みを打ち明け、あるいは話に尾ひれがついて、スキャンダルとして僕の耳にまで届いたわけで。
 でも、「告白」ですよね。
「みれん町、おんなの朝」の中で、氏は、その若い女優の卵とは別の、もう1人の女性(歯科医師の奥さん)との別れのシーンで、別れてもまた会えるのかという相手に、
 
「先のことは分からないよ」−−−私は卑怯なくせに、しっかり「カサブランカ」のリックを気取っていた。
 
 そのあと、相手の女性にケラケラと笑われながら。
 
 
 
 ともあれ、この本によって人間臭い氏の一面に触れ、氏に対する印象は大いに改善されたのでした。
 それにしても、あの「時間ですよ」事件は、最終的にどういう結末を迎えたのでしょうか。気になりますねえ。
 
     朝が来たのね さよならね
     街へ出たなら べつべつね
     ゆうべあんなに 燃えながら
     今朝は知らない 顔をして…
 
 この本には、ほかにもまだまだ特徴ある歌が取り上げられています。
 不幸せな若者たちが、思いつめたような表情で集まっては重苦しい暗い歌を声をそろえて歌っていた「歌声喫茶」の話など、ダンディなイメージの久世氏とは似合わなくて、そこがまた、泣かせます。みんなが滅入るために通っていたとしか思えないような、あの、歌声喫茶。
 
「だから<歌声喫茶>で隣合った奴と馴染めなかった。声を合わせて歌っていても、仲間という気持ちになれなかった。
 一度だけその店で知り合った女の人と寝たことがある。始めから終わりまで、寒かった。−−−明くる春、私はまた大学を落ちた。
 
 氏は、少なくとも2浪以上を経験されたということ。
 東大だけど。
 
 それとあと、骨太の硬派の公尭お兄さんやその友人たちに揉まれ影響を受けたせいか、「我が良き友よ」を取り上げているからいう訳じゃないけど、女性にもてた割には、光彦氏も、ある意味では、硬派だなあと思いましたよ。  
 綴られた様々な人生に触れ、正直、心情相通ずる部分も少なくなく、心は通り過ぎてきた遥かな時代へと飛び、なぜか、妙に遣る瀬無い気持ちに包まれたのでした。
 
 
 
 

 
前の話へ戻る 次の話へ進む
 
【夢酒庵】に戻る

【MONSIEURの気ままな部屋】に戻る