山本一力氏は、感性が僕に近いようだなと、大変失礼な印象を抱いていましたが、このたび「おらんくの池」を拝読し、僕などとは比較できない潔さを備えられた人物だということに気付き、大いに恥じ入りました。 「おらんくの池」というのは随筆集で、小賢しい僕を改心させたのは、その中に収められている「売り込みです!」と題された一文。今回は、そのことを書こうと思います。 短期間ですが、僕は「中小企業指導センター」にも「消費生活センター」にもいて、物を売る側からも売られる側からも見て、恥ずかしながら、どうすれば物が売れるか、どうすれば消費者は買うのか、その基本のようなものは頭に入っているつもりでした。ある意味、その点については訂正する必要は今でもなくて、ただ、別の方法もあったという話とも取れなくもないかもしれないわけですが…。たとえば、後に一力氏も気付いたという『売り込むのはモノではなく、おのれ』だということ。こういうことは、単に知識としてだけでなく、実感として、しっかりと頭に入っていたわけですが…。 ああ、恥ずかしい。 言葉としては同じような意味に見えても、実質が、天と地ほどにかけ離れていることもあると、そういう話でもあります。 恥ずかしい。 氏は、高卒で入社した有名旅行会社を27歳の時に退社し、小さな販促企画提案会社に飛び込まれたんです。それまでは、名刺さえ出せば誰からも大事にされたのに、無名の会社の名刺では、誰からも相手にされません。売り込もうにも、販促担当者に会ってももらえません。 その小さな会社の社長は、「こざかしいことを言わず、売り込みだと最初に宣言しろ」というのが自論だったけど、そんな書生論では、ほとんどの相手は話も聞かずに電話を切ってしまいます。僕だってそう思うし、もし僕がその相手だったら、実際、話も聞かずに電話を切ってしまいそうだし。 だから、一力氏のみならず、社員はみんな、なんとか効果的なセールストークを編み出そうと、汗を流していたとのこと。 もっともな話ですよね。 多分、僕だと、まずは人間関係作りから手をつけそうですね。ここだと狙い定めた会社の担当者にさりげなくごあいさつするところから始め、「もし何か御用がございましたらお申し付けください」程度の、当り障りのない、ギラギラしないトークを積み重ね、顧客に変なバリアーを張り巡らせないように注意しながら、当面はひたすら良好な人間関係の構築に努め、仕事の話は、機が十分に熟してから。小賢しいやり方ですが、現実的な手法だと思いますよね。 これが、小賢しい僕が考えていた「売り込むのはモノでなく、おのれ」の意味でしたよ。 一力氏が編み出したやり方というのが、具体的にどういったものだったのかは書かれていませんが、悪戦苦闘の結果は、矢折れ刀尽き、結論として、ことごとく失敗に終わったということ。どうしてもうまくいかなくて、渋々ながら、社長のいう、『売り込みです!』流でやってみたんだそうです。 「忙しいときに、売り込み電話なんかをかけてくるな!」 案の定、ほとんどの相手に断られたけど、まれに、話を聞いてもいいという企業に出会えたといいます。 これが氏のいう、「売り込むのはモノでなく、おのれ」の意味。この社長は、当時は社員が10数人だった会社を、いまは社員200人の企業へと成長させているとのこと。 この言葉に、深くこうべを垂れて、居ずまいを正したいと思います。 氏は、一時期、ニュース番組のコメンテーターをされていたはず。 いつの間にか姿を消されたのは、文化人面した愚か者たちとテレビ画面に並ぶのが耐えられなかったという事情なら許しますが、氏の切っ先鋭い太刀筋を、大いに不愉快に感じたスポンサーやテレビ局関係者の不心得が原因だとしたら、社会にとって不幸なことだと思います。 |