高速マシンガンの男    2005/10/19
 
 
 最近、ともすれば娘から、話がくどい、長い、だるいといわれる僕ですが、これでも独身時代とか若いころには、ムッシュさんは話が面白くて素敵、などといわれたものです。
 わざわざ話し出す以上は、できたら独創的な視点からオーディエンスの意表をついて、瞬時に全体の構成などにも意を配り、優しい材料のたとえ話など駆使した前ふりでほどよく味付けもして、ゆっくりと間も取り、聴いてくれてる人たちの反応にも合わせて。
 そういうのが、昔からの僕のスタイルでした。
 ちょうど、ここ夢酒庵に並べてるエッセーと同じです。
 話すのも書くのも、それは同じことですから。構成だけなら、絵とも同じだし歌とも似ていますよ。
 世の中が変化して、そういうのが受け入れられない、それだけ忙しい時代になってしまったということなのでしょうか。
 
 僕の話が長くなってしまう、その最大の原因はおそらくは導入部、前ふりや中ふりにあります。でも、ここは大切だと思うのです。話の生命線はここですから。この部分を外すと、一体これは誰が語っているのか、みたいなことになってしまいますから。ゆきつくべき結論が意表をついている場合は、その結論に説得力を与えるためにも、特に重要です。逆に、結論がパラドックスになってない場合は、それはそれで、もうここ導入部にしか、耳を傾けるべき内容はありませんから。
 
 そういう理由で、宿命的に、話がくどく長くなる傾向はありましたよ。それは認めます。認めた上で、自分自身、果たして若いころと何も変わってないか、本当に同じスタイルのままだろうかと検証してみました。
 すると、気付いたことがあります。どうも、早口になってる。ついでに上げれば、声も大きくなってる。
 原因は、多分、脳の老化。
 だって、忘れますから。
 スタートの時点で話そうと計画していたテーマや構成、パーツとしての個別の小さな話題が、ちょっと余計なことを思い付いて脇道にそれている間に、あらあら不思議、消えちまったりしているのです。これは困ります。
 何回かそういう経験を重ねると、少しずつ早口になってしまうのかもしれません。
 こうして文章を書いていても、話の枝葉を飾る話題を思い付けば、その内容を示す略語のようなメモをどこかに置いといて、とりあえずは本線の方を書き進めるよう心がけています。装飾の方のフレーズに惚れて夢中になって追いかけ、ついつい脱線していると、すぐには元に戻れなくなってしまいますから。
 ただ単に戻れないだけならまだしも、そもそも自分は何が言いたくてこんな話を始めたのか、その肝心なテーマすら、深い五里霧の中に消えてしまいますから。
 そいつを忘れないうちにと思うと、どうしても手早く話してしまおうかとなっちまうのかもしれません。でもそれだと、もう話術とはいえなくなってますよね。
 まずいなあ。
 
 もとより会話は、ゆったりとした流れの中が好ましいし、途中には適度な「間」も必要でしょう。相手がちゃんと興味を持って追っかけて来てくれているか、退屈してないか、そういうことにだって気を配らねばなりません。常識ですよね。わかってますとも。わかってるから、意識して、ゆっくりと語らねばと、そういうつもりで、静かに話し始めますよ。
 でも、ダメです。
 何時の間にか声は大きくなり、いつしか高速マシンガンの男になってるみたい。まして反応をうかがう余裕なんて、あるはずもなく……。
 
 実は、それだけじゃないんです。
 告白すると、車でお気に入りのCDを鳴らしながら走っていると、右折すべき交差点を見落とし、しばしば直進してしまっていたりします。
 まったく嫌になっちまいます。
 年は取りたくないぜ。
 
 
 
 
「お父さん、いまの話、前の方は要らないんじない?」
 ん…?
 嗚呼っ! (…と天を仰ぐ)
 
 

 
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