万年筆    2003/05/03
 
 
 仕事でメモをとるときは、最近は水性ボールペンを常用しています。
 今までいろんな筆記用具を使ってきましたが、鉛筆以外では、これが一番使いやすくて。
 しかし、そうした仕事の武器は、通常はデスクの引き出しの中。出張などで、話の流れでメモをとる必要が生じたときは、何気なく胸の万年筆を出します。
 なぜか、そこに万年筆を差しているのです。
 
 すると、
「おお、あなたも万年筆派ですか」
 いつの間にか、万年筆使いは少数派になっていたんだなと悟らされる瞬間でもあります。
 確かに万年筆は嫌いではなく、いくらかこだわりもあります。でも、実は普段は水性ボールペン派。万年筆を常用しているわけではありません。では、そんなとき、どう返すか。
 仕方なく僕は、問いかけに直接は答えないで、ただ不敵に笑ってみせるのです。相手の大きな期待が見えていますから。長年身を潜めていた同志に、遂に巡り会えたぞ…という目をしていてますから。
 
 しかし、この、万年筆という道具は、必ずしも扱いやすい代物ではありません。新品の時点では、すらすら書けていたかも知れませんし、かすかにそのような記憶も残っていますが、使い込む内に僕の癖が染み込み、誰のものでもなかった物が、いつしか僕の万年筆になっていったように思います。
 僕は太字用を好み、ずいぶん以前から太字用のものを愛用しています。そのため、小さい文字を書く必要があるときはペン先をひっくり返して使います。こうすれば細い線が書けるのです。罫紙などに横書きする場合は、多少斜めに使ったりもします。そうしたことが原因で不自然なちび方をしているせいか、最近は特にペン先が頑固になったようにも感じます。
 時間の経過とともに、癖というか、特徴をくっきりと鮮明にしていきます。
 こうなると、もはや愛着を通り越しています。まるで、自分の分身のよう。
 ただ、だからといって、決して書きやすい訳じゃない。持ち主だからこそ、癖もわかり、なんとか使いこなせていますが、むしろ、扱いにくいといった方が正しいかも知れません。
 道具というのは不思議です。
 
 ある意味では、もはや、長年ともに歩いてきた、古い友人のようなものかも知れません。
 万年筆を手に取り、あらためて見つめ直していて、愕然としました。
 その関係が何かに似ているとしたら、それは友人じゃない、夫婦だ…。
 
 
 

 
前の話へ戻る 次の話へ進む
 
【夢酒庵】に戻る

【MONSIEURの気ままな部屋】に戻る