待ったをすれば、つおいぞ     2009/02/04
 
10年以上前なら、世の対戦型将棋ソフトはアマチュア初段程度の実力といわれていて、僕は、なかなか負けなかったんですよね。
それが、ソフトが進化してどんどん強くなってきて、負かされるようになりましたが、それでも、「待った!」機能を使ってやり直すと、僕が勝ってたんです。
はじめのころは1回だけ「待った」をして、それが2回、3回と増え、
「ええ〜っ、また待ったをするの〜?」
とソフトの奴にあきれられてもくじけずに待ったを続け。
でも、そのうちに、待ったをしても遂に勝てなくなって、将棋ソフトとの対戦は長い休場期間に入りました。
 
パソコンのOSにオマケで付いてくる「スパイダーソリティア」というゲームは、試行錯誤型。
ある意味、「待った」が前提のゲームです。
何回も待ったを繰り返し、試行錯誤によって裏返っているカードの情報を集め、論理と推理で、開いては元に戻しを繰り返して、少しずつ解決に向かって進んでいきます。
 
囲碁は、ハンディキャップとして置石を使いますが、僕は個人的に「待った」を併用していたこともありました。
「置石3石、待った2回」とか。
ほかでは聞いたことがないから、世の中で当時の僕だけの、きわめてローカルな限定ルールだったと思いますが。(^^)
でも、これは優れたハンディの付け方だったと今でも自負しています。
囲碁というゲームは、道のりが長いんです。
その長い道のりの中で、わずか1手。
たった1手の間違いで、形勢を一気に崩し、敗勢に向かってしまうというシビアなところがあります。
がっぷり四つに組んでいたのが、1手で、惨めな落ち武者人生に変ってしまう。
ハンディがあるから、それで負けと決まるわけじゃないけど。
そこから頑張るという戦い方だって、立派は立派。
そういう意味では、戦う前にハンディをもらっておいて、その優位性をなんとか残すような戦い方も悪くないわけだけど、そこで瞬間的に「待った」をすることによって惨めな敗勢に陥らない、そういう戦い方の方が勉強になる意味もあるんです。
どのシーンの、どの手が間違いで、何が原因で局面を悪くしたか、そういうことだってわかってきますから。
 
 
 

さて、僕が何を言おうとしているか。
長い付き合いの人たちには、もう、とっくにおわかりのことでしょう。
そう。
もちろん人生の話です。
 
正直いって、僕は必ずしも、いつも正面から立ち向かうだけではなく、結構逃げたりもしてきました。
無用な戦いは、出来れば避けたかった。
だけど、そんな意気地なしの僕でも、「待った」はしなかったつもりです。
そんなの、することじゃないと思っていましたし、そもそも、そんな選択肢は頭になかった。
ロールプレーイングゲームで途中に印を打っておいて、窮地に陥ったらゲームを遮断してあの地点からゲーム再開、みたいなことは、現実にはありえないことだし。
 
でも、いまになって、まちがってたなという気がしているんです。
「待った」はありじゃないかと。
出来る「待った」なら、人生というゲームのルールの中で、自分の人生観に照らして恥じるところがなければ利用すべきだし、多少恥じるところがあったとしても、時と場合によっては許されるんではないかなと、そんな気がしていますが、どう?
 
 
 

 
前の話へ戻る 次の話へ進む
 
【夢酒庵】に戻る

【MONSIEURの気ままな部屋】に戻る