名探偵の作り方    2005/02/20
 
 

 推理小説といっても、実はいろんなタイプがあります。
 とはいえ、探偵が登場するだけの陽気で単純な読み物ではなく、犯人が仕掛けたトリックを見抜いていくスタイルであれば、普通は、多分、多くの推理小説作家たちが、逆から筋立てを考えていくのではないでしょうか。
 パズルの迷路は、出口から辿ると案外簡単に入口まで繋がっています。推理小説も、種を明かせばそうなのです。
 まず犯人のキャラクターとか環境を作って、彼を覆い隠すように周囲を目くらまし役の様々な登場人物たちで囲みます。そして、どんどんストーリーを逆回転させていって、人が死ぬシーンまで戻ったら、一丁上がりです。
 もちろん、本当はいろんなスタイルがあるでしょうから、推理小説の書き方といっても人それぞれでしょう。
 そういえばテレビで、ある推理小説家が得意げに話していたのは、それとは全く逆の手法でした。彼は、街に出て、目に付いた人たちを描写しては登場人物に仕立てていくといいます。そして、役者がそろったところで事件を起こします。そこではじめて、作家である彼が実質的な探偵となって、それまで作り上げてきた世界の中で考え、謎を解いていくのだというのです。
「登場人物たちを設定したら、あとは彼らが勝手に動いてくれますから」
 凄い発言でしたよ。
 もしもそれが本当なら、興味深い作り方だと思います。でも、ホンマかいな。僕だったら、そんなやり方なら、ほとんどの事件は迷宮入りでしょう。
 
 遅筆家の内田百閧ヘ、出稿が遅れて、編集者が自宅まで押しかけて原稿の仕上がりを待っている時、控えている彼に背を向けて座り、真っ白い原稿用紙を前に、威風堂々、ピクリとも動かなかったといいます。
 僕もワープロを買うまでは小説用に愛用していましたが、丸善の原稿用紙です。上辺が糊で綴じられている冊子タイプの優れもの。
 その原稿用紙を前にして、長時間微動だにしなかったと思うと、やおら、ピリッと一枚破り、真っ白のそれをクシャクシャに丸めてはうしろに放り投げたといいます。まるで、何か書いて升目を埋め、それをひとしきり推敲した結果、遂にボツにしてしまったといった風情ですよね。
 でもね、この話は内田百閧フお茶目さを伝える逸話として一部の人たちの間で語り継がれているもの。真に受けてはいけません。要は、編集者をからかって遊んでいたわけです。
 かの推理作家氏の場合も、この類かなとも思うのです。
 正直言って、種も仕掛けもなしでは、手品は出来ませんから。意図した伏線もなしに、既出のたくさんの矛盾について、あとからすっきりと辻褄を合わせることなんて出来ませんから。
 ちなみに、三谷幸喜氏は、「古畑任三郎シリーズ」ではあまり凝った仕掛けを用意していません。その言い訳として、あのドラマに登場するような地位のある人たちは、あまり凝った殺人計画は立てないというふうに説明しています。地位のある人は計画的には人を殺さない。発作的に殺してしまって、あとで隠ぺい工作をする。それがリアリズムだと。
 でも、その説明には無理があると思います。中学生にして、翻訳物を含めて街の図書館にあったドイルやクィーンは全て読破した僕は、地位のある人が何らかの理由で追い詰められ、自分を窮地に追いやった人物を殺さざるを得ない状況に至り、周到な計画のもと、殺人を実行したケースをいくつも見てきましたから。
 やはり、本当はみんな、迷路の出口から入って入口を目指しているに違いないと思うのです。
 
 だから貴方も、ぜひ一本書いてみてください。
 読者を煙に巻く快感は、これはなかなか捨てがたいものがありますから。
 僕の詩と一緒で。
 煙に巻くという意味では、井上陽水の歌詞とおんなじテクニックです。
 
 あっ、まずいなあ。これじゃネタバレだ。
 
 

 
前の話へ戻る 次の話へ進む
 
【夢酒庵】に戻る

【MONSIEURの気ままな部屋】に戻る