ふと、勘違いしてたことに気付くと、自分自身に対して、ニヒルに笑ってしまいます。 断固としていつまでも若く見せること、それがあたかも戦い続ける男の証だと、そんな変な錯覚をしている同志たちは少なくないでしょう。まだまだそこら辺の若い者には負けないぞと、髭を剃り、髪を染め、どことなく若造たちのファッションを取り入れ。 命ある限りいつまでも真っ赤な炎を燃やし続けたいと思う人間としては、老いを、どうしても避けえないものとして潔く受け入れるということは、これは甚だ抵抗感に欠けた情けない振る舞いに見えてしまい、容易には受け入れ難いのでした。 でもいま、それはどうなのかな、と自問しています。 数年前に髪を染めるのをやめたときの、微妙な心の変化を振り返ってみると、あるいは、僕らは自分の年齢をどうして隠す必要があるのかという思い、その一点だったかもしれません。 どうも若く見せることこそが、旺盛な創作への情熱の証と思っていた節があります。テレビ画面に登場した不敵な面構えの芸術家が、思いもかけない高齢だったりすると、スタジオはたちまち驚嘆のため息に包まれますよ。その人の作品とは別の部分で、素早く勝手に様々な想像をめぐらし、奇妙な感心をしてしまうのです。 そして、僕もそんなふうでありたいと思わなかったわけでもなく。 ただ、それは、そうなのか。何を恥じるのか。 この年齢に立ち至らなくては到達できない境地。そういうものだってあるはずですよ。それはどう評価したらいいのか。 そんなことを考え、もうあるがままのスタイルでいきたい気分です。そのなかで、青年たちには出したくても出せない世代の味わいをご披露申し上げたい。 キーワードは、頑固に、ワイルドに、そして優しく。 |