跳ぶ前に見よ!    2002/07/16
 
 
すまじきものは宮仕え。
古人の貴重な教えではありますが、僕が想像するに、この言葉を残したのはまちがいなく宮仕えの身だった人に違いありません。
そう思います。だって、隣の芝生は青く見えるものです。
 
僕は何をいおうとしているか。
そうですよね。
みなさんは気付いているかどうか知らないけど、いま世の中は、大きな転機にあるかもしれません。
社会の仕組みが、曲がり角に来ていて、価値観が否応なしに変わろうとしているように見えます。
こんなときは、寄らば大樹の陰……か。
 
僕の個人的なことをいえば、中学卒業の時、女の子たちからサイン帳をたくさん前に置かれ、そこに何を書いたかというと、その時の馬鹿さ加減は今でも覚えていますが、僕が書いたのは、
【鶏口となるも牛後となるなかれ】
中学卒業を控えた女の子たちが、そんな堅苦しい言葉を求めていたとは思えませんよね。
でも、荒野をめざす若者の心は燃えていましたよ。
女の子たちに贈る言葉なら、もう少し気のきいたことを書けばいいのに。
若くして、馬鹿な親父の片鱗を、このころからすでに……。
 
そんな奥手な若者は、高校大学と経て、あげくが公務員です。
どう言い訳しようと、大樹の陰に入ったことにかわりはありません。
もちろん、いろんな批判があることは知っているし、それはそれで事実なのでしょうが、中に身を置いてみると、やりがいのある世界でもあります。
どのように勤めるかは、一人ひとり違うし、ある意味では、人生観の問題でもあります。
その是非は置いといて……。
 
いま、いろんな人たちが、国のかけ声に押されて事業を興しています。
個人事業者です。
これはまさに、鶏口となるも牛後となるなかれの教えそのものでしょう。
それはまさに、僕が望んで実現出来なかった道です。その心意気や良し。
僕らが若者のころは、寺山修司が、【見る前に跳べ】といってました。
うじうじと考えてばかりいたら、何もできないぞと。
勇気を出して、ます跳ぶんだ、と。
でも、僕はそれには疑問を感じていました。ゲーム好きだった僕は、将棋にしても囲碁にしても、麻雀にしても、誰よりも深く考えたヤツが勝つということをすでに知っていましたから。
 
自分の人生をいま振り返って、僕に欠けていたものをひとつだけあげろといわれたら、迷うことなく、それは「勇気」だと答えます。
でも、無謀な危険を冒すことは、それは勇気だとは思いたくなかった。
そういう思いが強かった分だけ、つい優柔不断になり、決断が遅れた傾向はあったかも知れません。
 
そういう風に、自分の欠点を認め、反省した上で言いたいことがあるのです。
岡山の牛窓町は東洋のエーゲ海といわれ、小高い丘の上には、多島美が美しい瀬戸内海を一望できるオリーブ園があります。
学生時代には、そこの近くで合宿もし、何枚か油絵も描いた思い出の地です。
そして、そのオリーブ園のすぐ手前に、数年前に小さなアイスクリーム屋さんが出来ました。
そこは、素材の牛乳の味を大切にした素朴なアイスクリームを出すことですぐに評判になりました。周りにはまったく何もない山道の、何もない傾斜地に突然出来たアイスクリーム屋さんでしたが、すぐに隣に家が建ちはじめて、こんな不便な場所に家を建てる物好きもいるのかと思ってたら、実はそれはアイスクリーム屋さんの家で……。
要するに、お店が大繁盛で、連日お店の前は長蛇の列で、これが儲からないわけはなく、その結果、たちまち家まで建ててしまったのでした。(多分…。もしかしたら、当初からの計画だったかもしれませんが)
ともあれ、僕が初めていったときは、アイスクリームを仕込んでる若いご主人の姿が奥に見えて、お店のカウンターには、30がらみの奥様らしい女性が注文を聞いていました。
それが、何カ月か過ぎて2回目にいったときは、もうお店に二人の姿はありませんでした。
マクドナルドかどこかでよく見かける、例の鼻持ちならない若い女の子が3人、感情のない奇妙に明るいあいさつで、お客の注文を聞いているのです。
隣に家が建ち始めたのは、そのまた何カ月か後のことでした。
 
それはいいんです。
彼らは、成功したわけですから。
問題は、これから説明します。
つい先日、何回目かにそこを訪れたとき、アイスクリーム屋さんのお店の真ん前に、食事の出来る店が開店していたのです。
なるほど、と思いました。こんな好条件の場所を放っておく手はありません。悪くないアイデアですよ。
だけど、その店の前に立ち並んだ幟旗を見て、唖然としたのでした。
ひとつには、幌加内ラーメンと書いてあります。
北海道の幌加内が、美味いラーメンで評判なのかどうかは知らないけど、それはまあいいでしょう。
問題は、そのとなりに「うどん」。そのまた隣にはまた別のメニューが並んでいます。
よしんば、それらのいずれにも味にいっぱしの自信があったとしても、それはやってはいけない。
そもそも、僕らは遠く岡山から、時々ではありますが、そこのアイスクリームを食べるために車で30分以上かけてやってくるのです。
そんな客に、もしついでに食事もしていって欲しいなら、そんな風に安易にメニューを広げちゃいけません。
嘘でもいいから、メニューはひとつに絞って、当店はこれに命を賭けてます、といわなきゃ。
 
自営業は、無定量の労働が課されると教えられました。
24時間が仕事だと。
その覚悟があって開業したのなら、その心意気や良し。見事な覚悟ですよ。僕には真似ができません。
だけど、気持ちだけじゃダメだし、汗を流すだけでもダメです。
頭は飾りじゃない。
幌加内ラーメンひとつに絞らなきゃ。
考えなきゃあ。
 
 

 
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