俺を殴ってくれ    2005/06/16
 
 
「お返しは3増倍」とは、祖母がよく口にしていた言葉です。
 殴られたら殴り返せ。1発やられたら3発にして返せと。
 そういえば、江戸時代には仇討ちだって認められていましたね。仇討ち赦免状というものだってありましたよ。でも、これは諸刃の剣。許されて仇討ちの旅に出た人は、相手を探し出して倒すまで故郷には帰れません。大変なことです。というより、これはむしろ被害側者にとってあまりにも過酷だし当事者は悲惨です。
 ではありますが、そうした、目には目を、歯には歯を、ということが社会の中で認められていました。
 そして、少年時代の僕らは、こうした価値観に対して納得していた節があります。
 ほろ苦い昔を振り返れば、似たようなシーンはありましたよ。僕じゃないけど、他人の告げ口を真に受けて腹を立て、つい友達を殴ってしまったあとで、その告げ口が悪意によって捻じ曲げられたものだったことを知れば、潔く頭を下げるしかありません。
「ごめん、悪かった。俺を殴ってくれ」
 僕らはそんな価値観とか正義感の中で成長していったような気がします。
 
 
 償う気持ちを金銭に置きかえて金額をはじき出し、その償いの金銭すらあらかじめ保険契約しておいてあとで自分の腹が痛まないように準備しておく社会は、これは本当はどうなんでしょうね。
 
 ただ、昼間は全く正反対のことを口走っています。
 わたしが求めているのはお金じゃないんです、加害者に誠意が見えないことが許せないんです、と真剣なまなざしで訴えかけてくる被害者の正論に対して、僕はこう応じるのです。
「あなたが求めている誠意というものは、その中身は具体的には何ですか」
 もともとが品性卑しく不誠実な人間に、少しの間だけ誠実な振りをしてみせて欲しいわけじゃないでしょう。では、地べたに額を擦り付けて、泣きながらわびてほしいということですか。それとも、いっそ何発か殴らせろと、そういうことですか。でも、その希望は、どっちにしても、僕らが住んでいるこの時代のこの社会では、相手が拒否したらもはや実現できない類の要求なんですよ。
 だったら、割り切るしかないんじゃないですか?
 眼鏡の奥の優しい僕の目が、相手にそう語りかけているわけです。
 本当は、気持ちは痛いほどよくわかってるんですけどね。
 
 いやな渡世だなあ。
 
 
 
 

 
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