中学生の時、ズボンの裾はあくまでもスリムに絞った「マンボ」や、逆に好き勝手に広げた「ラッパ」は、漠然とした自由に憧れる悪童たちには必須アイテムでした。夏のカッターシャツは、もちろん袖にスリットの入ったホンコンシャツです。 そういうのは、もちろん学校は禁止していましたとも。短すぎても長すぎても許されないズボンの裾は、時には厳重に物差しで測られたりもしていました。 でも、悪童たちの間では、結構流行りましたよ。 当時としては珍しく母がミシンを使いましたから、親戚の悪いのが、買ってもらったばかりの学生服を抱えては僕の家に来たりしていました。 母に、ズボンの裾を直してもらうんです。 もちろん僕も、新品のズボンの裾をほどいて……。 あ、僕はマンボは好きじゃなかったから、控え目なラッパですけど。 激しいヤツは、ほどいた裾まわりに三角の布を当てて大胆に広げるわけですが、僕の場合はそこまではしないで、ほどいた縫い代いっぱい、ギリギリまで広げてもらうだけなんです。 違反は違反でしたが、裾の幅を物差しで測ると行っても、ものの道理のわかる先生なら多少は大目に見てくれるわけで。 それがいいのかどうかは別として、勉強の出来るのは大目に見られていたような気がします。当時は僕は依怙贔屓だと感じていましたが、今は、あれは柔軟な対応だったと思っています。まあ、善悪不明ですが。 ホンコンシャツも着ていましたが、あれは見たらすぐにそれとわかるのに、僕は叱られたことはありませんでしたし。要するに、画一的な生徒指導じゃなかった。 人生に対する心構えの乱れというか、自分の生徒にそういうものを感じたとき、心ある先生は心配して、必要な場合にだけ僕らを注意してくれていた時代だったのでしょうか。 服装は、本当は関係なかった。そんなことは、本当はどうでも良かったのかなと思います。 そんなこととはつゆ知らず、ほんの少しルールを破っては悦に入り、いっぱしの悪ぶって……。 そして、そんなタイプのなかにこそ、おもしろい連中が多かったんです。 俳句とはいわないけど、【辞世の歌】の部屋でなんとなく5・7・5みたいなものを書いていると、気付いたことがあります。 この、5・7・5のリズムを微妙に崩すと、意外なインパクトがあるんですよね。 当たり前のこと、当たり前の内容を、少しだけリズムを崩してやることによって、それだけで、当たり前じゃない世界を演出できるような。 いや、そんな気がするだけかも知れないんですけど。 不思議なものです。 絵の世界でもそういうことがあるわけですが。 でもまあ、そういうことと社会のルールとは、本当は別物なのでしょうね。 僕らしいこじつけなんです。 そうは思いながらも、どこかで、ちょっとだけ主張してみたい部分があるわけです。 ルールがあると、ちょっと破ってみたくなるんだよ。 男としては、そんなふうに軽くうそぶいてみたくなるような。 |