お好み焼きを憂う    2004/09/05
 
 
 かつて、お好み焼きは誰がなんと言おうと「お好み焼き」だと主張しました。
 いわゆる関西風のお好み焼きは、まぎらわしいから「うどん粉焼き」とか、名前を変えるべきだとも。
 その発言がきっかけで、京都方面の女性から見捨てられてしまいました。
 
 さっきテレビで、大阪のぼてじゅうが、関西風は自分とこが元祖だと主張していました。昭和20年の創業だと。モダン焼きを始めたのも、ぼてじゅうが最初だと。そして、「広島焼きを参考にした」のだと。
 ほらね。
 
 ぼてじゅうは、自社の主張によると、どうやら関西風お好み焼きの元祖らしいです。関西風の元祖が誰だろうと、どっちでもいいけど。そして、モダン焼きについては、広島で親しまれていたお好み焼きを真似たんですね。ぼてじゅうは正直者だし、料理に著作権もないし、別に罪を犯していません。食べ物ですから、真似るのもありです。『お好み焼き』を不器用に真似たものに、「関西風お好み焼き」と名付けるのもいいでしょう。
 
 ただひとつ気に入らないのは、広島の『お好み焼き』を、「広島風お好み焼き」などと、あとから勝手に名前を変えること。
 誰が言いはじめたのだろう、ほんと。
 それだけは不愉快なのよ。
 不愉快だよ。
 
 広島のみんな、それでえんか!
 こらえたるんか。
 ま、ええか。
 ぼてじゅうはいまいちだけど、関西風は関西風で嫌いじゃないし。小麦粉に山芋を溶き混ぜたりするのは、関西風でなければ出来ない技だし。そういう意味では、関西焼き、偉いっ!。
 よく溶いた小麦粉を薄い紙のようにのばして、大量の野菜や少量の肉、シーフードを包み焼く「お好み焼き」の醍醐味には遠く及ばないにしても。
 というか、僕にとっては、『お好み焼き』は精神的にも大切にしたい存在だったりするものですから。
 
 
 

 
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