桜は、毎年春に同じ場所で花を咲かせますよね。 世の中すべからく、この道は、いつか来た道。 恋愛も、そう。 みんな同じようなことを繰り返していますよ。 でも、今年咲く桜は、去年の桜じゃないし、浦島太郎が出会った村人たちは、知らない人たちばかり。 似ているけど、同じじゃないのかも知れません。 恋愛もそう………??? 死は無だ、という人がいます。死んでしまえば、何も残らないと。 知り合いの自然科学系の研究者は、グビリと日本酒を飲みながら、いつも即座に断言します。 なるほど、それが多数説なのかも。 しかし、魂は輪廻転生するという人もいます。死は無ではないと。この説には心惹かれます。支持したいです。 ただ、疑問もあります。 遙か太古の昔、地球が誕生したとき、生命の種は一体いくつ用意されていたのでしょうか。 微細な生命の芽が細胞分裂を繰り返し、多くの命をはぐくむようになりました。いまや地球は、生命であふれています。 これら多くの生命が、死んで無に帰すことなく輪廻転生するのであれば、あの世は魂で満員のはずです。 謎だ。 魂は滅びないとして、自らも身を律し、静謐な日常を過ごしておられる先輩がおられます。その人を捕まえては、僕は、つい無遠慮な質問を浴びせてしまうのです。 「だって、それじゃ満員になりますよ」 生ビールのジョッキを傾けながら、斜め下方から挑むように追求していますが、納得できる答えには出会っていません。 いずれにしても、死は、厳粛なる別離。 そして、人生は出会いと別れの連続です。 思えば、別れを繰り返しながら生きてきました。 祖父母、父、叔父、先生、中学・高校・大学の悪友、恋人たち…。 唐の詩人、于武陵(うぶりょう)の五言絶句、【勧酒】。 勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離 君に勧(すす)む金屈巵(きんくっし) 満酌(まんしゃく)辞するを須(もち)いず 花発(ひら)いて 風雨多し 人生別離足(た)る ここで、ぜひ、井伏鱒二の名訳を紹介させてください。 コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトエモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ (『厄除け詩集』) 最後に、あえて付け加えたいことは、「さよならだけが人生じゃない」ということ。 大切に思う人のことは、別れても忘れません。 そして、もしも輪廻転生があるとしたら、記憶は消されようとも、不思議なえにしの糸に導かれるようにして再び出会い、まるで旧知の友のように抱き合い、盃を酌み交わすのです。 |