さよならだけが人生だ    2003/09/26
 
 
 桜は、毎年春に同じ場所で花を咲かせますよね。
 世の中すべからく、この道は、いつか来た道。
 恋愛も、そう。
 みんな同じようなことを繰り返していますよ。
 
 でも、今年咲く桜は、去年の桜じゃないし、浦島太郎が出会った村人たちは、知らない人たちばかり。
 似ているけど、同じじゃないのかも知れません。
 恋愛もそう………???
 
 死は無だ、という人がいます。死んでしまえば、何も残らないと。
 知り合いの自然科学系の研究者は、グビリと日本酒を飲みながら、いつも即座に断言します。
 なるほど、それが多数説なのかも。
 
 しかし、魂は輪廻転生するという人もいます。死は無ではないと。この説には心惹かれます。支持したいです。
 ただ、疑問もあります。
 遙か太古の昔、地球が誕生したとき、生命の種は一体いくつ用意されていたのでしょうか。
 微細な生命の芽が細胞分裂を繰り返し、多くの命をはぐくむようになりました。いまや地球は、生命であふれています。
 これら多くの生命が、死んで無に帰すことなく輪廻転生するのであれば、あの世は魂で満員のはずです。
 謎だ。
 魂は滅びないとして、自らも身を律し、静謐な日常を過ごしておられる先輩がおられます。その人を捕まえては、僕は、つい無遠慮な質問を浴びせてしまうのです。
「だって、それじゃ満員になりますよ」
 生ビールのジョッキを傾けながら、斜め下方から挑むように追求していますが、納得できる答えには出会っていません。
 
 いずれにしても、死は、厳粛なる別離。
 そして、人生は出会いと別れの連続です。
 思えば、別れを繰り返しながら生きてきました。
 祖父母、父、叔父、先生、中学・高校・大学の悪友、恋人たち…。
 
 
 
唐の詩人、于武陵(うぶりょう)の五言絶句、【勧酒】。
 
 勧君金屈巵
 満酌不須辞
 花発多風雨
 人生足別離
 
君に勧(すす)む金屈巵(きんくっし)
満酌(まんしゃく)辞するを須(もち)いず
花発(ひら)いて 風雨多し
人生別離足(た)る

ここで、ぜひ、井伏鱒二の名訳を紹介させてください。
  
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
         (『厄除け詩集』)
 
 最後に、あえて付け加えたいことは、「さよならだけが人生じゃない」ということ。
 大切に思う人のことは、別れても忘れません。
 そして、もしも輪廻転生があるとしたら、記憶は消されようとも、不思議なえにしの糸に導かれるようにして再び出会い、まるで旧知の友のように抱き合い、盃を酌み交わすのです。
 
 
 

 
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