小説のこと     1999/11/20
 
 
ひとりでドライブに出てはぶっ飛ばしていた時代、カーステレオでよく聴いていた歌があります。
 
   ♪ あと少しで涙になる……あと少しで涙になる……
      −恋人と別れてきたばかり、ふと入った映画館で−
   ♪ スクリーンの ヒ・ロ・イ・ンが わたしの代わりに〜泣いてくれた……
そんなふうに、本当はウエットな心情を、乾いた感じで淡々と歌います。
 
油絵は中学の時から描いていましたが、初めて小説を書いたのは、高校1年生の時です。
美術部にいた僕は、文芸部の「まさご」に《投稿》したのです。
途中で文芸部にも入り、「まさご」に載せた小説が3年間で3本。卒業の年に学校が出した記念誌みたいなのに1本。
処女作は、「ベンハー」を意識した『自然へ』。2作目は山岳部時代の知識を駆使して『山へ』。井上靖の「氷壁」を意識しロッククライミングを描いた『静寂の響き』に、唯一、制作途中で顧問の先生に指導をしてもらった『赤い凱旋門』。
あと、卒業記念誌に書いたのは、父親を乗り越えようとして旅立つ若者の心理描写をした短編。
あれ? 本数の計算が合いませんね、変だなあ。(「まさご」は年に2回発行していたのか、それとも、年に2回出した年があるのかもしれませんね)
使った筆名は、「まさご」が三条尚騎。卒業記念誌が早乙女誠。(ΘιΘ)…タラリ
 
作品自体は多分もう残っていないし、どんな内容だったかも忘れました。
忘れたというのは、内容がストーリー性のない、主人公の内面描写を中心にしたものに偏っていたからかもしれません。心の葛藤ばかりを克明に描き、これでもか、これでもかと執拗に追求していく。そういう小説ばかりだったように思います。
『静寂の響き』など、2人の男が岩登りを始めて、小説が終わるところでも、まだ岸壁に張り付いた状態のままで、山頂には到達していなかったと記憶しています。原稿用紙の枚数ばかり費やして、一体、何を描いていたのでしょう。
最近流行の、自分の実体験みたいなものをベースにした私小説的な作品は『沈黙のアリアス』くらいなもので、僕の作品のほとんどは、絵空事の世界です。
心の中に描いた自分だけの空想の世界のスケッチです。
ルーズも、そんな作品の一つでした。
 
ルーズというのは、一応「僕」が主人公ですが、さりげなく描きたかった僕の中の本当の主人公は「小早川」でした。彼こそは男らしさの象徴。僕が憧れ、ついにいまだに手にすることのないもの。
小早川は、高倉健さんです。
僕は、小説の中で、いくじなしの僕にできないことを主人公に代わりにやってもらって、溜飲を下げているのかもしれません。
そういう意味では、ルーズに出てくる「僕」は僕自身だということができます。
最後のシーンにしても、加勢まではしないにしても現場までは小早川についていくとか、それもできないならせめて隠れてでも後を付けて、遠くから様子を見ているとかすべきですよね。そうすれば、いざというときには誰か大人に連絡するとかできると思うのに。
あるいは、万一小早川がボコボコにされたとしても、高校生たちが立ち去ったあとからでも出ていって、傷ついた小早川を助け起こしてやるくらいはできるはずなのに。
本当に友達だと思っているなら、それくらいのことはやるべきでしょう。
そんな最低な、意気地なしの「僕」としては、小早川は憧れのヒーローなのです。
そして、小説の中では、僕は小早川でもあります。「僕」並みに意気地なしの僕が、そこでは高倉健にだってなれるのです。
あ、そうか。もしかしたら、あのラストシーンのあとで、「僕」が気付いてくれた可能性もありますよ。小早川が約束している場所に急いで、陰から見守っていたかもしれません。そんな気がしてきました。だって、友達なんですから。
 
「ルーズ」の授賞式のあとの懇親会で、小説の審査を担当された先生と向かい合わせに座って突っ込んだ文学の話をしている内に、先生が、「わたしは、あの作品はもっと若い人が書かれたと思っていました」と申し訳なさそうな顔をされました。そして、続けて、「来年もぜひ出品してください」と。
その時は深く考えもせず、(ルーズは、完成度としては、手元にある作品の中では一番だと思っていますから)「なかなか書きたい新しいネタとも出会いませんから」とつれなく笑ってしまいました。
でも、気持ちとしては、いまはそうではなくて、いつのまにかアンテナをピーンと伸ばして、小説のパーツ集めなどしている自分がいるのです。
みなさんの中で、もしも、心に染みたぐっとくる経験などお持ちの方は、ぜひ教えてください。
 
 
                                 ムッシュ
 
 


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