1999/10/15
 
 
子供のころ、よく時代劇の夢を見ました。
僕は剣士で、斬り合いをしているのです。シーンとしては、1対1の果たし合いというのもありますが、大抵は、何人もが入り乱れた戦場。
砂塵舞い上がる中、切ったり走ったりの大立ちまわりですが、僕はなかなか切られたりはしませんでした。夕方、毎日のように路地裏通りで繰り広げられていた、悪童たちのチャンバラごっこで腕を磨いていたからでしょうか。相手のふところ深く切り込んでは、素早く間合いを取ってひらりと敵の切っ先をかわす。
それでもたまには大勢に追いつめられ、夢の中でせっぱ詰まったこともあります。もう絶体絶命。そういうとき、僕はどうしたか。
答はずばり、「テレポート」です。
少年時代から、僕はいつのまにか夢の中でテレポーテーションするコツをつかんでいたのです。
 
窮地から脱出する方法は、もうひとつありました。
そこが山の岩場みたいな場所だったりすると、思い切りよく空中に身を翻し、鳥になるのです。
コンドルか鷲のように、大きく横に広げた両腕に風をつかんで、空を舞います。
 
チャンバラの夢は少年時代だけのことですが、テレポートしたり、空を飛んだりするのは、大人になってからも変わらずに続いています。
ただ、最近は、夢を見ている最中に「これは夢だな」と気付くことがあります。それだけ、寝ているときも冷静になったのか、逆に、それだけ眠りが浅いのか。
その関係で、空中に飛び出す瞬間、「これ、本当に夢だろうな。飛んでも大丈夫だよな」と、不安になることがあります。
これは、実は結構恐怖です。
先日も、仕事で高いところに登ることがあって、いつか見た夢の中の風景に似ているようにも感じられ、「ちがう、ちがう。これは夢じゃないんだぞ」と、あわてて自分に言い聞かせていましたよ。
 
もちろん、気分のいい夢ばかり見てるわけではありません。
就職してから5年間くらいは、試験の夢を見ては焦っていました。
夢の中の僕は大学生で、就職は決まっているものの、卒業するための単位が足りない。それなのに、試験の日に寝過ごしてしまうのです。
これは、大学4年生の時の状況そのものでもありました。
もちろん、現実には何とか卒業できたわけですが、決して容易でなかったこともまた事実であり、その時に経験した大きなプレッシャーが、いつまでも夢に顔を出して僕を慌てさせていたということなのでしょう。
 
あと、ここ数年、時々見るようになった間抜けな夢があります。
僕は自動車を運転しているんですが、前との車間距離が詰まって、あぶないと思いブレーキを踏むのです。
でも、なぜかいつも半分くらいしか効かなくて、ぶつかってしまう。
あたるといっても、「コツン」という感じで大した事故ではないんです。ただ、あたると気分は良くないし、なぜそんな夢を見るようになったのかと、そっちの方が気になったりもするのです。
ブレーキがゆるい夢って、どういう深層心理の反映なんだろう。
 
 
                                 ムッシュ
 
 


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