手談−燃えたぎるものを求めて    2001/12/30
 
 
 毎月第2、3、4日曜日、公民館に同好の士が集まり碁盤を囲んでいます。元大工さんや元銀行員、元公務員に元教師、中小企業の社長さんと美人の奥様……。
 たまたま親しくなってお話をすることがあれば、そういった現役時代のお仕事などが分かりますが、詳しくは職業など存じ上げない人たちも少なくありません。社会的な地位や貧富の差とは無関係に、ひたすら石を並べています。僕のような若造にとっては、みなさんが人生の大先輩ですが、そんな方々を前にして、そこでは対等に相手を務めさせていただいているのです。まさに浮き世のしがらみとは無縁の世界で、各人各様に、みなさん和気藹々と、自分のスタイルの碁を楽しんでおられるように見えます。
 ずーっと、そう思っていました。僕自身が、そういう穏やかな平安の世界を求めていましたから。弱い人は弱い人なりに楽しめる、それが囲碁だと。
 碁は手談ともいわれています。会話です。僕も、勝ち負けに一喜一憂する碁よりも、ゆったりと、会話を楽しむ気分で打つ碁が好きなのです。
 碁には性格が出ます。公民館での日頃のジェントルな僕の打ちぶりが好感を持たれてのことと確信しているのですが、リタイアされている人たちから、自然発生的に、土曜日にも相手をして欲しい、教えて欲しいといわれるようになりました。それで、気の置けないメンバーが近くの囲碁喫茶に集まり、公民館以上に濃密な、丁々発止の手談に興じています。公民館以上に楽しい、至福の時間帯です。
 
 公民館では、1年くらい前から点数制を導入し、勝ち負けを記録するようになりました。成績がよいとランクが上がります。そういう意味では打ち碁に張り合いが生まれましたが、手談を楽しむ談話室というよりは、血なまぐさい戦場と化した意味もあり、僕としては功罪不明と感じていました。勝つ人には痛快でも、負け続ける人には苦痛ではないだろうかと。
 そんな公民館の囲碁同好会のお世話をしてくださっているK翁は、会の中でも最長老にして最強の指導者ですが、僕が日の出の勢いで実力を付けていたころ、翁に対して互い先で優勢だった時期がありました。
 しばらくして復調されたとき、これは聞いた話ですが、翁は町の碁会所に通い秘かに修業を積まれていたとのこと。そしてその時の心境を、
「負けたくないんです。勝ちたいんです」
 そう吐露されたそうです。
 その気迫あふれる闘志に対して、凄いなと思いました。と同時に、ショックを受け、自分を恥じました。手談とはいうものの、少なくとも翁は、渋茶を飲みながら饅頭をつまむ心境で碁を打たれていたのではなかった。常に、真剣な戦いの中に身を置いておられたのだ、と。
 僕にとっては、いま流行りの言葉を借りれば、「囲碁は癒しの場」でしたが、翁にとっては戦場だったわけです。だとすれば、これは大変失礼な話ではないかと思ったのでした。
 
 多分、僕は少し疲れていたのでしょう。
 精神的な、気力の衰えもあると思います。要するに、シビアな戦いの要素から目を背けて、自分の中で、真剣勝負を自分に都合のいいように、お遊びに仕立てていたのです。
 年齢を感じさせない、内に激しく燃えたぎるものを秘めた闘士と対峙し、いやしくも盤上で刃を交える以上、そのつもりで立ち向かうのが礼儀でした。そう思ってみると、喫茶店でのメンバーにも、一人ひとりのレベルこそ違いますが、確かに共通するものを感じます。勝ちたい、強くなりたい、という秘めた気迫のようなものを。
 そうだったのですか……。
 
 実は僕という人間は、学生時代の友達はみんな知ってることですが、元々は容赦しないところがあるのです。そういう、クールな面を、来年は少しお見せしようかなと考えながら、2001年の総括としたいと思います。
 来年は、ちょっと怖いかも知れませんよ。
 

 
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