趣味について    2003/03/08
 
 
 週間エコノミストに、気になる記事がありました。
「高度経済成長を支えた企業戦士たちは、定年退職後をどう生きるか」というテーマの、某大企業の元社長さんへのインタビュー記事です。
 
“趣味に生きる、という道もありますが…”という質問に対し、
 
 わたしはこの趣味の問題はこういうふうに考えるのです。たぶんいま定年を迎えた60歳から65歳の人たちというのは、昭和30年代から40年代の企業戦士時代の卒業生なのです。経済の高度化、国際化に向かってどんどん進んでいった時代です。ものすごく経験は多く、実力は本当にあると思います。ただ、彼らは、じゃあ趣味の世界に生きるほど時間をかけられたかというと、たぶんかけられなかった。第二の人生を彩るような趣味がない。ゴルフくらいでしょうか。でも、社交のゴルフしか知らなかったりする。趣味のゴルフなんて意外にやっていない。だから、会社を卒業すると同時に、そういう世界からも足を洗わざるを得なくなるのです。
 
 かくして、某氏は仲間とNPO法人を設立し、それまでの蓄積を活かして企業コンサルティングを始められたということです。有能な仲間を集めて、ほとんどボランティアで、全国の中小企業の求めに応じ、楽しみながら社会貢献されている様子がうかがえました。
 
 そう遠くない日に定年を迎えるであろう僕ら世代は、この文章を読んで、一体どういう感想を抱くのでしょうか。無趣味な層は、我が意を得たりとホッと胸をなで下ろし、趣味派は、温かい笑顔でそっとページを閉じるのでしょうか。
 
 いうまでもなく、企業戦士の中には、確かにそう多くはないかもしれませんが、趣味を持つタイプも混在しています。
 ウィンストン・チャーチルの話を持ち出すと話が大袈裟になりますかね。我が社の元社長も、官僚の頂点に立った後に転身された人ですが、プライベートでは写真をたしなまれました。展覧会で作品を拝見したこともありますが、何かにつけて「一流」という言葉を多用されていたにふさわしい仕上がりになっていたという記憶があります。だから、激務イコール無趣味、という単純な図式には、本当はなっていません。言い訳にはなりません。
 僕の知る限りでは、我が社の社員の中にも、絵描きや音楽家、書道家や写真家、変わったところでは役者や狂言師と、なかなか多彩です。レベルについても、人それぞれではありますが、侮れません。もちろん、それぞれの所属部課にあっては、プロのスペシャリストやゼネラリストとして腕をふるっている人たちです。あくまでも仕事が優先されますから、趣味の世界の発表機会などはさすがに制限されます。しかし、それで飯を食う必要がない分、妥協を強いられることもなく、意欲さえ失わなければ自由に続けることもできるのです。スポーツはまたスポーツで、選手や指導者として、生活の中に取り入れている人はいくらでもいますし。
 
 冒頭に紹介したインタビューは一部分であり、誤解を避ける意味で付記すれば、記事全体としては、企業戦士であった戦友たちに、老け込むなよ、とエールを送る趣旨の部分に、より多くの思いが凝縮されているのでしょう。
 すべての企業戦士たちが、退職後も仕事の経験を活かした道しかない、そういう運命にあるのだということではないはずです。
 そもそも、「第二の人生を彩る趣味…」などという発想は、無意識に自分で垣根を高くしていませんか。
 趣味は、多くの場合、さりげなく人生と共にあります。
 
 
 
 

 
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