介護施設が足らない  2011/06/04
 

先日のことです。
もうすっかり忘れていましたが、その昔に入所申請していた施設から携帯に連絡が入りました。
「順番が回ってきたけど、どうされますか」
「ありがとうございます。でも、もう母は亡くなりましたから」
 
広島県の場合は、田舎の施設でもこんな状態です。
戦争を生き抜いてきた、数少ない生き残りともいうべき世代にして、社会の対応の仕方はこうです。
ましてや、僕ら団塊の世代に明日はありません。
団塊の世代は、余っています。
かつて、飲めや歌えや、踊れや使えやと、潤沢な年金財源を提供してきた団塊の世代も、いまや給付を受ける年代です。
払ってきた膨大な資金は、むなしく浪費されてしまいました。
だから、共済組合年金も、秘密裏に給付額を従来の半額にされていました。
労働組合役員たちは、組合員を裏切ったのです。
 
ほんのわずかな、あの戦後を生き抜いてきた人たちでさえ、施設入所を希望しても、順番に並ぶ権利が与えられるだけ。
不明朗で全国不統一な運用が野放しの、介護等級認定制度という厄介な壁が立ちふさがり、列に並ぶことすら許されない人もおられます。
もちろん、仮に並ぶことができても、死ぬまで入所の順番は回ってこないのが現実です。
まして、爆発的に生まれた僕ら団塊の世代が入れるだけの施設が、どこに用意されるというのでしょう。
子供や孫たちに迷惑をかけたくなかったら、選ぶべき道はひとつしかありません。
繰り返しますが、団塊の世代に明日はありません。
結束して議員を担ぎ、国会で過半数を獲得でもしない限り。
しかし、残念ながら僕らは、個人主義の世代です。
群れることを好みません。
若いころから常に激しい競争の中にあって、信じれるものは己だけ。
 
だから、みんな沈黙しています。
明日は、自分で切り開いていくしかありません。


 
 
 

 
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