僕らがフォークと出会ったころ、レコーディングスタッフの中には、必ずといっていいほど、加藤和彦若しくは西岡たかしの名前がありました。そして、黎明期のフォークのステージやレコード録音を支えた人といえば、石川鷹彦。いろんな人のコンサートについて来てましたね。ステージの端の、やや照明を落としたあたりで、さりげなくギターを構えて。 ただ、時代を振り返れば、すぐにギターのうまい若い人たちが無数に出てきました。アマチュアでも、その辺のプロが裸足で逃げるような華麗なギター弾きたちがゴロゴロいましたし。 だから、そうなってくると、ギターテクニックに関しては急速に興味が失われていきました。西洋絵画の世界で、ルネッサンスによって本来の絵画が天井を打ったというか、ほぼ完璧な形で確立されてしまったことにより、若い絵描きたちの心が、人によっては、あるいは打ちのめされ、全体として印象派へと大きく舵を切っていったように。 それはそれで、世の中の自然な発達の形のようにも思えます。 ギター弾き全体のレベルが上がり始めると、逆に、ほとんどまったく弾けない、音楽的なことからすれば、無茶苦茶なフォーク歌手たちも出てくるようになるわけですが。俺たちはギター引きじゃない。伝道師なんだ、と。もちろん、フォーク歌手本人だけでなく、彼らを育てていると考えているファンの人たちも含めて。加藤和彦のことを、おもちゃ屋さんといった人たちですよ。 あたかも絵画の世界で、キュービズムが台頭したときのように。 ま、泉谷しげるが、フォーク界のキュービズムかどうかまでは責任がもてませんが。 今回は、しかし、そういう話を書きたかったわけじゃないんです。 実は、さっきテレビで、「山弦」という2人組みのお兄さんたちを紹介していたのです。それを見て、そういう、いわばスタジオミュージシャンなんて、きょうび、もういくらでもいるわけですが、そういう人たちが、テレビに出るということ自体は少し珍しく、おやっ、と思ったものですから。 しかも、アルバムも5枚も出しているとか。 歌は、特にフォークソングは、元々それが生まれた時代背景からすれば「教え」であり、フォーク歌手たちは教えを広める「伝道師」だったわけで、ギター引きは言うまでもなく添え物でした。大切なのは歌詞であり、音楽性なんて…。なのに、いつのまにか、僕自身が変化を来たしていたようです。かつては低く見ていた歌のパーツとしての音楽の部分を見る目が。 もっとも、冒頭で書いた加藤和彦については、色分けすると、伝道師というよりは純粋な音楽家に分類すべき人。陽気に音楽で遊んでる人です。西岡たかしは、ジャズを嗜み音楽性も高かったわけですが、同時に彼自身がまぎれもなく伝道師でした。そのことは、時を経た現在も少しも変わっていません。そして、石川鷹彦が、ポジション的には、いわば山弦のルーツにあたります。 こうして、何の計算もなく、ただフォーク黎明期の裏方を担当していた人たちの思い出話などを書き散らしながら、僕の心は、もうとっくにレコードショップに飛んでいるのでした。山弦の2人がいってましたよ。「や」のコーナーに行くと、矢沢栄吉と、山本リンダの間に挟まって並んでいるのだと。 年を重ねてくると、お説教はもうたくさんだという気がしてくるのかもしれません。自分でも何曲かそんな歌を書きましたが、基本的には、その内容には、もはやさほど目新しいものはなく、むしろ「おいおい、またかい」みたいなことばかりだから、勢い、インスツルメンツに向かってしまうのでしょうか。 教訓なんて、もういいんです。 本当のことをいうと、どんな状況でも通用する、そんな便利な教訓なんて、実は存在しないんだし。だって、あの「世界に一つだけの花」にしたって、いってること、おかしいでしょ。誤魔化しがありますよね。ま、それで頑張れるなら、頑張れる人がいるならそれもいいのでしょうが。でも、あとで、だまされていたことに気付く人だって、少なくないはずなんだよね。 それが歌というものなんだと、みんな知っていればいいんだけど。 |