さて青春とはいったいなんだろう    2001/07/22
 
 
音大を出てピアノを教えている妻が、何を考えたか、昨年からコーラスを始めました。素人の混じった市民の合唱団だから、何かと不愉快なシーンも多いだろうと思うのに、それ以上に、友達と過ごす時間というものが気分が良くて、得難いものがあるのでしょうか。
ブツブツいいながらも、どこか楽しそう。
発表会の前には、結構長い期間の練習があって、今日もその練習会場までの送り迎えを担当しました。
早めに約束の場所に車を停め妻の出てくるのを待っていると、カーラジオから懐かしい歌が流れてきました。
かつて僕ら若者たちの心を激しく揺さぶった、吉田拓郎の『青春の詩』です。
 
  ♪ ……さて青春とはいったいなんだろう
    その答は人それぞれで違うだろう
    だけどこれだけはいえるだろう
    僕たちは大人より時間が多い
    大人よりたくさんの時間をもっている
    この貴重なひとときを僕たちは
    青春と呼んでいいだろう……
 
この貴重なひとときを、少なくとも僕は、どうやら、いつの間にか、使い果たしていたようです。貴重なひとときの大部分を、しかも一番濃い部分を。
無駄に使ったとはいいません。
もがき苦しみ、苦労した時間があったことは認めてもいいけど、それが無駄だったとは思いたくない。
ただ、「大人より沢山の時間をもっている」はずだった僕たちは、誰一人の例外もなく、いまはみんな、その貴重なひとときを、ことごとく見事に失ってしまっているはずです。
そして、もはや僕らには時間が少ない。
なんたることかと憮然たる気分ですが、事実から目を背けることは出来ません。
 
『青春の詩』が表の歌だとしたら、ひそかに裏の歌も作られていました。
それは、もちろん『老人の詩』。
 
  ♪ ……だけどこれだけはいえるだろう
    老人は僕たちより時間が少ない
    老人は余命いくばくもない……
  
いま聴けば、なんと明快でなんと怖ろしい歌だろうと思ってしまいますが、僕らは不遜にも、笑いながらこれを歌っていましたよ。
まるで、僕らだけはいつまでも歳を取らない生物であるかのごとくに。
 
 
時は流れました。
夢とか希望とか、そういうものは、ある朝突然に、ドラマティックに、開け放たれた新しい扉の向こうに、眩しい大きな光と共に出現するものではないことは知っていたはずなのに、心のどこかでは期待していた節があります。
もしかしたら……と。
しかし、これはわかっていたことですが、誰の人生にしても、夢も希望も普通の「日常」の彼方にあります。
果てしなく長いありきたりの日常の連続の先で、僕らを待ってくれているのです。
もしも近付きたいなら、日常を積み上げるしかありません。
積み上げるということは、その日その日、一日一日にベストを尽くすということです。
ベストを尽くしても、何も生まれないことだってあります。というより、むしろ何も生まれないケースの方が圧倒的に多いことでしょう。いくら努力しても、努力した全員が栄光の金メダルを掴めるわけではありません。金メダルを手にできるのは、世界でたった一人だけですから。
 
思えば、僕らはゾウの時間に入ったようです。
ゾウはゆっくり動きます。ネズミはちょこまか動きます。
ネズミはちょこまか動いて、アッという間に一生を終えますが、ゾウはゆっくり動いて、長い時間を生きます。
それでも、生きてる内に心臓の打った回数は、ネズミもゾウも同じ。この世の生き物に与えられている時間は、実質的な長さは、みんな同じなのだと。
それが「ゾウの時間 ネズミの時間(本川達雄−中公新書)」の話のエキスのひとつですが、人間の一生の内にも、ゾウの時間帯とネズミの時間帯とがあるように僕には思えます。
そして、僕らはいま、ゾウの時間にいます。
ゆったりと時に対処していると、1カ月もアッという間です。
 
僕はいま、残り少ないこの時間について考え始めました。
 
   ♪ この貴重なひとときを僕たちは
     青春と呼んでいいだろう
     青春は二度とはかえってこない
     みなさん青春を
     いまこのひとときを
     僕の青春
 
最近の山には、僕らの時代ほどには若者がいません。
その分、驚くほどの数の年輩者たちを見かけます。
昔も山にお年寄りはいましたが、彼らは常に少数で孤高を保ち、僕ら子供の目には、神秘的な存在に見えたり、象徴的だったりしました。
いまは普通の、かつての若者たちであふれています。
山に憧れ、山の息吹を感じ、魂で自然とふれあい語り合いたいと思い山に登っていた少年少女たちが、成人し都会で生きていくために山から離れ、そしていままた、自分の時間を取り戻して山に戻っているように見えます。
もちろん山だけではありません。若いころ歌っていた少年少女たちが、あるいは歌ってはいなかったけれど心ひそかに歌に憧れていた少年少女たちが、子育てを終え、あるいは職場を定年退職し、若い人たちにまじって、再び舞台に立ち始めているわけでしょう。
生きるために、青春を心の奥にしまい込んでいた人たちが、いままた青春を取り戻しているように僕には思えます。
たくさんの時間をもっているはずの若者たちが実は「老人の詩」を歌っていて、時間の少なくなりつつある人たちが、「青春の詩」を歌っている。
 
    ♪ みなさん青春を
      いまこのひとときを
      僕の青春
   
 

 
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