『結局は熱意の問題だで』考    2002/11/06
 
 
 僕のお気に入り、「横浜くろねこ」さんのサイトで、『■2002/10/29 (火) ・・・・・・結局は熱意の問題だで』と題する、こんな話に接しました。
 横浜くろねこさんというのは、平日だけという条件付きですが、一日一題をテーマにエッセーを書くと公言し、実行している人です。
 毎日1本書きなぐるだけなら誰でも出来そうですが、彼は猫だけに? 高見から世の中を眺めては、毎回、にゃんともいえぬ興味深い話を書くので油断できません。読ませます。
 世代的には、どちらかというと僕の側に近いというか、もう若者とはいえない年代のはずなのに、文章は爽やかで若々しいからすっかり気に入って、僕もほぼ毎日、仕事の合間に訪れては読ませてもらってる次第です。
 そういうわけで、この話は、くろねこ氏が、出張で名古屋に行かれたときのことです。
 
 
(前略)
>ホテルで渡された中日新聞。
>「市の職員が地元に住んどらんで、どーしやーす?」
 
>署名入りの囲み記事で「公務員の市外率」をとりあげ
>ています。勤務先と自宅の市町村がちがうことです。
>名古屋市も小牧市も犬山市も40%近くとか。
 
>市の広報をつくる4人が全員市外などと聞くと違和感
>を感じますが、「地元だから何とかしたい」という
>単純なものでもないようです。
 
>地元でないから新しいことができる。一理あります。
>「思い切った施策ができるでなー」ということになる。
>どこに住んでいるより、いかにその地域にかかわるか。
>「結局は熱意の問題だで」
(後略)
 
 かつて、役場職員には地元の人しか採用しないという噂の町がありました。
もちろん噂です。真偽については知りません。
 しかし、役場や農協というのは、小さな町にとって数少ない有利な職場であることは確かです。そんな貴重な職場をむざむざよそ者に与える必要はないというのは、小さな町では、誰もが抱く共通の思いかもしれません。
 もちろんそれだけではなく、地元民ならではの、「熱意の期待値」みたいなものもあるかもしれません。町内に生まれ住んでいる職員は情熱を持っていて、よそ者はこの町を心からは愛せない…と。偏見というか、ある種の純血主義のようなものですね。
 広島県に生まれ住む者の多くが、カープファンであるように。
 そして、そんな僕自身が他県の禄をはむようになって、その長さが故郷に暮らした期間を越えてもなお、カープファンであり続けるように。
 そう、実は僕もよそ者です。
 
 30年くらい前には、弟が中国地方の有名市役所をいくつか連続して受験したとき、その中のひとつには、受験資格に、「市民か、合格後は市内に居住可能な者」とあったような記憶があります。
 その時は、その理由を職務上の必要性からだと理解しましたが、もしそうだったとしたら現在では通用しない理由ですよね。当時とは状況が変わりすぎていますから。大きな都市になると、市内とは名ばかりで、地理的に市役所から相当離れた場所に住んでいる人だってたくさんいるでしょう。だから、もし何かあったときに市民が職員でないと間に合わないから、というのは必ずしも理由にはならない感じがします。遠い市内もあれば、近い市外もありますから。
 もしかしたら、たとえよそ者でも、その土地に住み家族を持てば、やがて新しい郷土愛が生まれるはずと、深謀遠慮、そう期待してのことだったのでしょうか。
 
 僕は、その10年後くらいに、2年間と期間を定めて某町役場で仕事をしたことがあります。
 梅雨時だったでしょうか、町が大雨に見舞われ、忘れもしない日曜日の早朝に、急遽出勤して欲しいとの電話が入りました。
 まだ暗い時間帯でしたが、早速マイカーで出かけました。途中の町も河川が増水し、場所によっては道路が冠水しているなか、災害警戒出動している人たちに止められながら、通常は片道30分のところ、1時間近くかかったかと思います。
 その町役場には他町に住所がある職員もいたはずですが、みなさん比較的に近くだったのか、僕が役場に着いたときはもう全員がそろい、それぞれがめまぐるしく動いていました。職員はもちろん飛び回っていますが、対策本部になった広い会議室には、消防団の人や、近所のお母さん方の姿まであります。お母さんたちは、たくさんのおにぎりやお茶を用意していて、それをみんなに配っていました。
 その時の情景を振り返れば、正直に言って、はっきり僕はよそ者でした。
 真剣には取り組みましたが、家族や親戚や、自分たちの郷土を守らなければというような、逼迫した気持ちはありませんでしたから。命がけの決意、みたいなものまでは持ち合わせていませんでした。
 
 こうして考えてみると、「結局は熱意の問題だで」と主張する市の広報をつくる市外の4人…(彼らがそう主張したわけではないのでしょうが、話の展開上、この際ワル役を押しつけさせていただくことにします)には申し訳ない方向に、話は進んでいます。
 その町に住まないで、もちろん家族も別の町にいて、それでただ、「結局は熱意の問題だで」と胸を張っても、これは説得力に欠ける気がします。熱意…よく使われるその言葉は、僕の印象としては言い訳に響きます。
 だって、市内に住む職員は市外の職員よりも熱意において劣るのでしょうか。熱意を持って取り組むということは、誰であれ、その仕事が何であれ、基本的なことでしょう。少なくとも郷土愛においては、逆に市外の職員の方が劣っている可能性がありますよ。熱意というのは数値化できないし、それだけに重宝なものだということ。そこに逃げ込むのはずるい。
 つまり、「熱意」にすり替えてはいけないんです。
 
 というわけで、僕が勝手に「結局は熱意の問題だで」と主張するグループの代表選手に指名させてもらった広報誌の担当者諸君の場合でいえば、彼らが担当するようになって、明らかに誌面が良くなったと市民から声があがるように、その仕事ぶりで示すしかないでしょう。彼らが「よそ者」と後ろ指をさされないためには、それしかありませんよ。紙面が親しみやすくなったとか、レイアウトが変わって読みやすいとか、文章がわかりやすくなったとか。
 確かに俺たちはよそ者だけど、少なくとも、そんな俺たちの方が何倍も仕事に情熱を注いでいるぜ、とそううそぶきたいのなら。
 男は黙って成果を上げて、「3割30本打ってるんだから文句はあるまい」。
 どうせなら、こうであってほしい。
 なんだかんだいっても「結局は熱意の問題」なんだから。
 成果によって、そのことを示してほしい。
 
 
 

 
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