幸福論最終章    2001/05/28
 
 
初めてこの話題に接する人は、できたらまず、こちらの『幸せの不思議』をお読みください。
 
いかがでしたか。
ことほど左様に、幸せとは不思議なものであります。
これは! と思う人物と飲むときは、酔うほどに、僕はどうしても幸福論を極めたくなり、本能の命ずるままに論戦を挑んでおりました。
京の五条の橋の上で、刀百本を集めようとした弁慶さながらに、立ちはだかっておりました、です。
まあ、世の酔っぱらいとはそうしたものだと思し召しください。
そういうわけで、つい先日も、通算すると何本目になるのでしょうか、標的を捕まえ、いつものように始めました。
 
ねえ★♂▲さん、高見に登り詰めていけば、また必ず、それまで完成だと思っていた絵の未熟さが見えてきてしまうんです。
未完の部分に気付けば、また再びやり直すしかありませんよ。
進歩し続けるということは、それまでの自分を安易に評価することなく、否定し続けるということなのかもしれません。
それが、僕らに用意された道なんです。
「自分で自分を誉めてやりたい」
そんなことをいって喜んでる人は、僕には、抜け殻にみえますけどね。
 
おそらく、そんな意味のことをいってたんです。
心の中では、幸せと思える人こそ幸せで、飽くなき向上心の人は、悲しいほどに不幸だと思っている節がありますが、一方ではその考えは断じて認めたくなくて、死ぬまで自分の作品を叩き割り続ける備前焼作家こそが、真の芸術家であり、至高の人生を歩む幸せ者だと、いつも僕はその答えを期待しているわけで……。
その日のゲストも、少なからず酔っていたはずです。
で、その直後の、ゲストの氷の刃のような、見方によっては眠り狂四郎の円月殺法のような、ゆったりとした動きにして鋭い切り返しの言葉。
 
   まあ、あれだよ。
   何が幸せで、何が不幸か。
   そんなことを考えることなく暮らしている人が、幸せなんだよ。
 
合掌。
   
 

 
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