「これ貸してあげる」といって手渡された高田渡の『バーボン・ストリート・ブルース』は、巻末に2001年8月15日 初版第1刷とあります。発行所は山と渓谷社。 この本が出版されたころの彼は、日常的にはこんな感じで、「具が欲しい」変なおやじだったんだけど、この本では、ずいぶん頑なな理屈を展開しています。僕のことを人間の屑みたいに言って、はは…。 まるで、叱られてるみたい。 例えば、 すみません。だから、それは僕です。 昔は山岳部で山を愛し、ギターも弾いてました。そして「昔は、僕もねえ……」とか、やってますよ。 確かに中途半端かも知れません。生きていくために、別に仕事を持ってますから。それも、何かの片手間にやれるような仕事ではありませんから。 1日24時間の内、寝る8時間を除いて、10時間から12時間を生きるために売って、残りの6時間か4時間で顔を洗い歯を磨き、お風呂に入り。その合間の時間をやりくりして中途半端にやってますから。寝てるときも、仕事のことが頭から離れないときだってありますし。 でもね、生き方の際どい部分に散々突っ込みを入れてるのに、難解な詩は嫌いだとか平然と言ってのけて、「なんで物事をそんなに難しく言わなければならないのだろう。理解してもらいたいなら、やさしい言葉でわかりやすくつたえてあげればいいのにと思う。」などと勝手な理屈を並べます。 詩というものは、ある種の創作というか、言葉を絵の具のように駆使して1枚の絵を描くようなものなのに。そのためには、わかりにくい部分もあれば、作品全体がそういうものもありますよ。頑なに排他的な主張ばかり展開されると、困ったオヤジだなあという気がしてしまいます。 もちろん、僕が拍手喝采を送った部分もあります。 断っておきますが、もともと、高田渡は嫌いじゃないんです。
僕と同じ高校から、もうひとり同じ大学に進んだ男がいました。 僕から見たら、特に取り柄があるわけでもなく、善良で、どちらかというと不器用な男でしたが、誰が誘ったのか、ある時初めてデモに参加して、その日はデモが途中からどんどん先鋭化していって、それに連れプロたちは巧妙に後方に引き、素人学生たちは、お約束どおりグイグイと最前線に押し出されていきました。 そんなこと、僕らみたいな軟弱学生でも、ある意味、常識でしたよ。そうなることはわかってるのに。 かくして、彼は逮捕されました。 もともと僕とはタイプが違うし、同郷とはいえ彼とは普段は特に交流はありませんでした。だから、まさに虫が知らせたというか、どうして彼の下宿を訪ねたのか記憶がありませんが、ある日部屋のドアを開けたら、そこには「もうまともな就職ができない」と泣く彼の姿がありました。 情けないほど馬鹿だけど、彼を動かしたのは、他愛のない純粋なヒューマニズムです。ほんとうにむかっ腹が立って仕方ない。 |